柳生と火星について
「柳生と火星は置換可能な概念ではないのか?」とテレビで柳生一族の陰謀を視聴しながら考えていました。
言ってみれば『柳生』と『火星』は同じ強度の幻想ではなかろうか、という話。
火星から柳生へ
柳生から火星へ
おお、全然アリじゃん!?
ここでさらに『ウェスタン』とかも同じような匂いがするわけですが、それは置いておくとして……。
火星というともうなんというか別世界なわけです。テラフォーミングとかそういう未来技術で開拓しますとか、そういう要素はでかいけどもなにはなくとも別世界。この地上とは違う理屈が支配する世界、それが火星という言葉には充ち満ちているわけです。
柳生は一族の名前なのですけども、同時に地域の名前でもあるわけで、火星とは遙かにスケールが違うといえど、実際の所、この日本においては全ての作家が一柳生を保有していると言っても良いほど良くできた観念なのであります。柳生の恐ろしさは、柳生○○と頭についた時点で、柳生データベースが機能する、という記号論的な点にあるのではなく、作品を読んでみると例外なく作者の赤裸々なコダワリが見えてくる、その醍醐味にあるわけです。マイ柳生オレ柳生最高!という柳生原理主義。
火星についてもこれは実は同様で、マイ火星オレ火星。オレだったらこんな火星にテラフォーミングするってコダワリが見えてくるような気がするわけです。カセイズム。
柳生が歴史を改ざんしまくる宿命を背負っているのならば、火星は火星を改ざんしまくる、つまり柳生も火星も現実と妄想の代理戦争(スペクタクル)を時代小説とSF小説の分野で担っている、そのシンボルではないのか。
いや、そうした理屈よりもなによりも、柳生夜想曲とかなんとも無茶苦茶っぽいロマンあふれる単語じゃないですか。火星武芸帳とか火星平定記とか、なにかトンでもな秘密がありそうじゃないですか。
その単語を聞いた時点でぱっと異常性が嗅ぎ取れる、そういうものを生成するという意味で、火星と柳生は置換可能な概念ではないでしょうか。
ということは畢竟柳生というのは人間集団に付与されている名称ではなく、実はもっと広くひとつの世界観を形成しているのではないでしょうか。柳生という言葉でヤギュイズムというか、時代小説的なクソリアリズムを結晶させているのではなかろうか。一つの惑星に匹敵するほどに、その世界観というかイズムはでかいんじゃないか、とも考えられるのではなかったか。
これは夢にござる、ゆめにゆめにゆめにござるぅ。
謎の剣豪&柳生関係者:結城忠正
ユウキノシンサイハ、シュリ・シュリケントツカフ也
謎のて、と思われた方はかくあらん。世に柳生関係者は数多い。島左近や松永久秀など比較的マイナーだが濃い武将などともつながっていたりする。さて、みなさんそんな柳生関係者の中で結城忠正(ゆうきただまさ)という男をご存じだろうか?
かいつまんでいうと↓こういう男。
結城忠正
生没年不詳。戦国・安土桃山時代の五畿内の初期キリシタン。当代の大学者にしてキリスト教布教に尽力。山城守。号は進斎。松永久秀の臣、命によりキリスト教の是非を審査のため清原枝賢とともに奈良で日本人ロレンソ修道士から教理を聴いて感銘を受けビレラ神父から受洗。霊名はエンリケ(アンリケ)。フロイスによると、学問・降霊術で著名、剣術家にして文章力にすぐれ天文学に通暁。1569年(永禄12)6月以降消息不明。(五野井隆史)*1
国史大辞典より
太文字は私がふったものです。ご紹介する柳生関係者は、ドマイナーなこんな人物。だが、意外!一キリシタン武将で終わらぬネタがこの男には存在している!
既述のように、当時天下の最高統治権を掌握し、専制的に支配していたのは松永霜台(久秀)であった。すなわち、彼はその点偉大にして希有の天稟の持ち主であった。彼は完全に自らに服従せしめていた大和の国の、奈良の市に近い多聞山という立派な一城に住んでいた。そして五畿内においては、彼が命じたこと以外はなにもなされぬ有様であったから、位階や門閥においては彼を凌駕する多くの高貴な人たちが彼に奉仕していた。その人たちの中に結城山城殿という一老人もいた。彼は学問および降霊術において著名であり、偉大な剣術家で、書状をしたためたり添削することにかけて有能であり、日本の学問の程度に応じた天文学にはなはだ通暁していた。彼には、かくも多くの希有の才能が集まっていたので、彼は天下の最も高貴な人々から非常に敬われ、松永霜台は彼に幾多の好意を示していた。
フロイス日本史より*2
結城山城殿つまり忠正について、ルイス・フロイスの日本史を読んでいたときに、上記のような記述に行き当たりました。国史大辞典での説明も多くはこの記述に依っているものと思われます。偉大な剣術家で降霊術において著名とか、どこの荒山メソッド?*3ってなもんです……。ともかく文武両道の超文化人だったこの人物。*4は、松永久秀に依頼されてキリスト教徒と問答し、それがきっかけでキリシタンに改宗してしまうという数奇な運命をたどります。
当時京都で最も知られた学者武士であった彼の改宗が契機となり一族を始め有名な高山右近や三箇頼照をはじめとして多くの畿内の上流階級が改宗し、河内キリシタンと呼ばれる集団が現れる契機となりました。*5
しかし私の伝奇アンテナにはまた違った方面でピッピッとくるものがあったのです*6。
なに偉大な剣術家とな!?と。
それはこの男を、柳生関連の文献で二度ほど目にしたことがあったからです。一度目は柳生厳長氏の『正伝新陰流』における柳生連也が父兵庫助の口伝を書き残した文書『柳生連也自筆相伝書』および長厳さんによるその解説の中です。
必 勝
本云。是ハ左太刀也。上段右ノ肩ニカマヘ、左ノ足ヲサキヘナス。敵、懸(ケン)ニシテ身ニアラソフト時ハ、其ママ勝。又、調子ヲヌキ越テアラソフ時ハ、敵ノ右ノウラヨリ勝也。
厳云。打太刀カネノツモリノ構也、ユウキノシンサイハ、シュリ・シュリケントツカフ也。直(ジキ)ニ、打ツケ々勝也。伊勢守流ニハ、ヌケテ勝也。
『正傳新陰流』柳生連也自筆相伝書より*7
本云というのは、新陰流祖上泉伊勢守や石舟斎はこう言ったそうだ、厳云は柳生利厳(兵庫助)はこう言ったよ、という意味だそうです。著者は、この必勝を含む『九箇の太刀』は流祖上泉伊勢守が関東の諸流派の秘伝から、特に優れた九つの太刀使いを選んで柳生宗厳に伝えたもので、新陰流の他流派には伝わっていない、と書いてるんですね。そして上記の厳云の部分の「ユウキノシンサイ」について触れています。
他のことは簡略しても、「ユウキノシンサイ」にだけは、一言したいと思う。結城ノシンサイその人は、上泉大宗の道交として、この「必勝」の太刀を最も得意とし、結城流の使い方そのものを相伝していて、私も幼・少年時代からその太刀を習い、この口伝を耳にしているが、流史では、結城シン斎の小伝について、それ以上を明らかにしていなかった。
『正傳新陰流』より*8
さあ出てきました謎の剣豪ユウキノシンサイ!
そして二度目は『史料 柳生新陰流』の柳生文書中の「八月十一日の織田信長から柳生宗厳宛ての書状」において。
雖未申通令啓候。仍松少と連々申談事候。今度公儀江御断之段達而令言上半候。定不可有別儀候。雖不及申、此時御忠節尤候。随而山美息女之事、松少江内々申事候。先三木女房衆、此刻早速被返置様御馳走専一候。通路以下御為ニ候。向後別而可申承候。相応之儀、不可有疎意候。猶結山可為演説候。恐々謹言。
八月廿一日 信長(花押)
柳生新左衛門尉殿 御宿所柳生文書より*9
↑の適当な意訳『どうも始めて連絡します。当方は松永久秀となんども打ち合わせしております。今度公方様にあなたの「お断り」のお返事を言上するつもりです。さしつかえのないように願います。言うまでもないことですが、この時を逃さず奉公しておくべきかと思います。また内々に松永久秀には言ってあることですが、(人質としている)山岡美作守の娘の件に関しては、早速に付き添いの三木の女房衆を返ししますようお計らいください。今後のことは、後ほど連絡いたします。疎意のないように相応に願いします。後のことは結城山城守が説明いたします。』
国史大辞典にもあるように、結城山城守忠正の斎号は「進斎(シンサイ)」といいます。上の書状などからみても明らかに結城山城守と柳生宗厳の間に関係があったことが分かります。
つまりユウキノシンサイ=結城進斎(忠正)なのです。*10
信長は足利義昭を奉じて1568年(永禄11)の九月に上洛してるんですが、近江ルートを通って京都まで行ってるんですね。しかしこの時、近江の六角氏などと結構ギリギリまで駆け引きがあったみたいでして、大和でぶいぶいいわしてた松永久秀と通じて伊賀→大和ルートでの上洛も考えていたようです。そういう動きの中で、大和から伊賀へ通じる柳生街道を押さえていた柳生一族の所に上の書状のような連絡が来ていたのではないかと思われます。ちなみにこの時期柳生一族は松永久秀配下で筒井順慶とかと戦ってました。*11そうした情勢の中で同じく松永の勢力下で働いていた結城山城守*12は信長と通じさらに、柳生宗厳と交流があったのではないかと考えられます。また柳生氏は、松永久秀とはその最期(1577年 天正4)まで付き合いがあったようです。つまり結構長い間、結城山城守と柳生氏とはつながりがあった可能性が高いのです。
上記の正伝新陰流の引用部分『必勝』を含む『九箇の太刀』というのは1563年(永禄6)に柳生にやってきた上泉伊勢守が編みあげた刀法です。上泉伊勢守は柳生を通じて当時宣教師にも伝わるほどよく知られた剣術家であった結城忠正ことユウキノシンサイと交流があったのではないでしょうか。
ちなみに柳生宗厳宛てに印可が出されるのは永禄八年ですが、同時に九箇の太刀を伝えたと考えても、永禄六〜八年の間、伊勢守は大和や京都あたりで兵法流布を行っていたようなので「左太刀の名手」結城進斎と技術交流があったとしても不自然ではないでしょう。
そして、その剣豪結城山城守(ユウキノシンサイ)について、柳生宗厳(石舟斎)が、自慢の孫の柳生兵庫助(利厳)に、「んーこの必勝って太刀はなー、結城進斎っておじいちゃんのダチがいてなーそいつの必殺技だたんだぞー」と教えたとしてもおかしくなりません。或いは、結城山城守は上泉伊勢守から新陰流を学んでいて「必勝」の太刀を得意としたのかもしれません。
ってなわけで、キリシタンとも問答できちゃう知識人で、天文学も交霊術(多分仏教儀礼かなんか)も造詣が深くて、茶湯の心得も当然あって、能筆で、松永弾正のブレーンで、土豪の説得も信長から任され、しかもこのユウキノシンサイ=結城山城守忠正説が合っていれば「新陰流に影響を与えたほどの剣豪」という非常識にマルチな才能を持った人物だったんじゃないでしょうか?
なんで今まで、こんな『伝奇属性』の塊みたいなこの人物を取り上げた作品がないのが不思議です*13が、マイナーだからかですかねー。詳しく調べたわけではないですが、時代小説に登場することもかなり希なんじゃないでしょうか?*14。高山右近みたいに色々逸話が残ってるわけでもないし……。禁教令とか情勢変化のおかげで子孫もぶいぶい言わせなかったし……。
なお、三好長慶の家臣であった結城左衛門尉(アンタン)(1534(天文3)〜1565(永禄8))は息子であり、彼は父親の影響で授戒後に砂の寺内(現在の大阪府四條畷市砂)に教会堂を建てました。甥の結城弥平次(ジョアン)は摂津岡山(現在の大阪府四條畷市岡山)領主で、1577年(天正4)忍ヶ岳に教会堂を建てました。本能寺の変後の一五八四年の小牧の戦いにて戦死したようです。
以上、柳生新陰流に影響を与えた(と思われる)超文化人結城忠正についてでした。
参考文献
完訳フロイス日本史〈1〉将軍義輝の最期および自由都市堺―織田信長篇(1) (中公文庫)
完訳フロイス日本史〈2〉信長とフロイス―織田信長篇(2) (中公文庫)
定本 大和柳生一族―新陰流の系譜 正伝新陰流
史料 柳生新陰流〈上巻〉 史料 柳生新陰流〈下巻〉
イエズス会宣教師が見た日本の神々 戦国 三好一族―天下に号令した戦国大名 (洋泉社MC新書)
定本 大和柳生一族―新陰流の系譜 柳生一族―新陰流の剣豪たち (別冊歴史読本 (45))
全体の参考URL
ユウキノシンサイについて ←同じ発想をした方がいました。うひょー。
天下統一期年譜 ←元になった一次史料が上げられてるのがうれしい。
三箇のキリシタン ←河内キリシタンについてここが熱い。
*1:【参考文献】
・『耶蘇会士日本通信』京畿篇下(村上直次郎訳、渡辺世祐註、『異国叢書』3)
・『フロイス日本史』3−5(松田毅一・川崎桃太訳)
・松田毅一『近世初期日本関係南蛮史料の研究』
*2:『完訳フロイス日本史1 将軍義輝の最期および自由都市堺』中公文庫 P151〜152
*3:友景とか友景とか友景とか
*4:他にも細川幽斎とか北畠具教とか戦国武将たちはけっこう超マルチ文化人ですけど。
*5:『戦国三好一族』今谷明 洋泉社新書 P244〜248
『完訳フロイス日本史1 将軍義輝の最期および自由都市堺』中公文庫 P151〜
*7:『正伝新陰流』柳生長厳 島津書房 P304〜305
*8:『正伝新陰流』柳生長厳 島津書房 P306
*9:『改訂 史料柳生新陰流』今村嘉雄 新人物往来社 下巻P289
*10:正伝新陰流の著者柳生厳長氏は、このユウキノシンサイとは、塚原卜伝の高弟だった結城政勝であろうと推察しています。結城政勝は下総結城氏の16代当主で分国法「結城氏新法度」を制定した人物です。確かに卜伝の出身は下総鹿島で、また伊勢守と鹿島の神道流との交流は十分ありましたが、大和にいた「ユウキシンサイ」ってことも考えられるんじゃないの、とも十分考えられます。結城忠正が神道流系の剣士だったかもしれませんし。
*11:上記の内容の「山美の娘」云々は、反信長の立場だった山岡景隆の娘が三木氏のお嫁さんで、しかもこの時松永久秀に人質にされていたようなので、そのルートで圧力をかけていたということらしいです。多分、柳生氏は山岡氏との関係で、簡単に話に乗れないところがあったのじゃないでしょうか? 参考:柳生宗厳宛織田信長書状の年代について
*12:元々は幕府の作事奉行で、三好長慶経由で結局松永久秀についたんじゃないかとも考えられているようです。永禄十二年一月の津田宗及主催の茶会にも信長方(当時松永久秀は信長配下)の上使衆として出席しています。参考:津田宗及主催大茶会
*13:「歴史」の検証としては不十分ですが、「伝奇」的にはこれだけ条件が整っていればOK
『暗殺者教国―イスラム異端派の歴史―』岩村忍
暗殺者教国―イスラム異端派の歴史
黎明に叛くもの (中公文庫)
山の老人
ムラヒダ地方には、むかし山の老人がすんでいた。ムラヒダとは異端のすみかという意味である。マルコ・ポーロは土地の人からその話を聞いたから、詳しく話しておこう。
山の老人はアロアディンといったが、彼は山の谷間を囲い込んで今までなかったほどの美しい庭園とし、色々の果樹をうえた。なかには想像も出来ないような綺麗な楼閣と宮殿をたてた。すべて金箔をはり、あざやかな色を塗った。いくつかの川には葡萄酒、牛乳、蜂蜜、水がそれぞれあふれるように流れていた。妙齢の美女が楽器をかきならし、上手にうたい、見事に踊っていた。マホメットは楽園について、そこには牛乳や蜂蜜、水の流れる暗渠がはしっており、入園者を喜ばすために多くの美女がいる、とのべているが、山の老人はこれをもとにして庭園をつくったのだが、この地方のイスラム教徒はこれこそ楽園だと信じこんでいた。
マルコ・ポーロ、青木富太郎 訳『東方見聞録』現代教養文庫
ニザリニザリ〜。
一年ほど放置しておいて、いきなりこんな本から再開するていたらく。
最近、宇月原晴明さんの『黎明に叛くもの』を読んで、なにか砂漠とか月とか暗殺とかいかにも頭の悪いオリエンタリズムまるだしみたいなものはいいなーと思って何冊か本を読んでいます。
『黎明に叛くもの』の参考文献にも挙げられている本書『暗殺者教国』は、イスラム教シーア派の分派のイスマイル派のさらに分派のニザール派(←階層深すぎ)についての本。
これは文庫版も絶版になっていたので古本屋さんで買ってきました。内容的にはとっちらかってまして、年代順に出来事が記述されているわけではないので、あっちにいったりこっちにいったりしながら、ニザリ・イスマイリの歴史におつきあいすることになります。
ニザール派はハサン・イ・サバー(ハサニ・サッバーフ)という人が、カスピ海近郷のアラムートというところの砦を上手いことやってのっとり、以降勢力を拡大していった宗派。
このハサン一世を中心にして五代にわたり、十一世紀頃のペルシャからシリアにかけて独自の勢力を保った「教国」をつくりました。
外交手段として『暗殺』をも辞さなかったことから、いわゆる「アサシン」についての伝説の元ネタとなった教派ですが、ホントはそんなに麻薬やら何やらでぼこぼこ殺してたわけでもないらしく、上記のような山海経みたいな紹介をしたマルコ・ポーロがいかんのです。まぁ、実際イスラム帝国や十字軍の将兵を暗殺したりした彼らは、スンニ派からは忌み嫌われていたそうですが。
ペルシャやシリアに飛び地領土を持っていた彼らは篭城戦に長け、ひとたび攻められても持久戦に持ち込むことでイスラム帝国、十字軍、ホラズム王国、最後はモンゴルとも争いましたが、フラグの西征に遭ってアラムート砦は陥落し、教主も討たれてしまいます。
その後、彼らの事跡は東方見聞録や十字軍の記録などを通じてヨーロッパに伝わり、アレクサンドル・デュマの『モンテクリスト伯』の一節に見られるような特異な暗殺者「アサシン」とそれを操る「山の長老」の伝説が作られていったそうです。
構成が妙にとっちらかってる理由は、元々はキドブハというモンゴル帝国の将軍のことを書こうと思っていたら、その当時のペルシャでモンゴルを手こずらせたニザリ・イスマイリ教国のことを書かなければならなくなり、完成した本ではそっちがメインになってしまったということらしいです。
教義の解説部分はやや難解ですが、カイーム・イマームと称した教主が宇宙そのものと一体であるとまで説いた部分や、そうした集団に属する帰依が精強な構成員になっていったことなどが興味深く、ちょっと前に読んだバガヴァット・ギーターや、ゾロアスター教に関する本など読んでると、共通性が見えたりして興味深かったです。もちろん現在のイスラム原理主義におけるテロリズムと安易に結びつけることの危険性は凄く大きいと思いますが……。十字軍と現在のキリスト教を簡単に結びつけられないように。
しかし、人間がなにか絶対的なものを信じていく過程で、一定の「型」のようなものがあって、ある程度「教義の形式」のスクリーニングみたいなものがおこわれるのではなかろうか、などとも思ってしまいます。
読んでおくと、『黎明に叛くもの』はもちろん『ゴルゴ13 第108話アサシン暗殺教団』とかもムフフと思えてお得です*1。少年十字軍やらアサシンやらモンゴルやらなにやらとごちゃごちゃした当時のユーラシアは凄まじいところだったのだなあと思いをはせることが出来ましょう。
だってあのモンゴル帝国と砦一つ(一つでもないけど)で喧嘩したというのは、まぁとんでもないことですよ。
しかし詰まるところ色々批判もあるわけですが、あっちのほうのオリエンタリズム(東方幻想)というのはいってみれば伝奇病であって、捏造虚像症候群であるわけです。
ハシーシュすぱすぱ吸って、トンでもなく怪しい山の老人がいて、んでもってあからさまに酒呑童子ライクな鬼ヶ城に囲われた男が、ふらふらと十字軍やらモンゴル騎兵団やらに喧嘩を売ると。
これは一体伝奇でなくて何なのか。
だからこそ「果心」=「カシム」になるわけです*2。
よろしいならば暗殺だ。
そういえばまだアサシン柳生や、裏柳生VS暗殺者教団とかやられてないような気がしますが、考えてみるととてつもなく意外です*3。
ニザリニザリ〜。
『鉄鍋のジャン』西条真二、おやまけいこ

鉄鍋のジャン!R 頂上作戦 (1) (少年チャンピオンコミックス)
- 作者: 西条真二
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「そんな料理じゃ俺の最強の料理には勝てないぜ!」
今更説明する必要もないほジャンはメジャーになりましたが*1、鉄鍋のジャンは今を去る少年チャンピオン黄金時代の魔星の如き漫画群の中にあってなお異彩を放っていた漫画です。
ジャンルは料理漫画とされていますが、僕はこの作品をその枠を大きく超えた「勝負漫画」とでも定義しなおしたいと考えています。
なぜか?
この鉄鍋のジャンにおいてはストーリーの骨格は『勝負』であり、料理でなくとも良いのです。恐ろしいことですがこの作品中の料理に求められることは勝利であり最強になることであり、味の善し悪しですらなく、最早料理を善悪超越*2した加工品が審査員の前に並べられるわけです。自然料理審査の際には「うぐぐー!」「ギャー!」「クカカカカー」「ギシャシャシャー」「マジックマッシュルーム!?」「生き死にくらいは自分の意志で決めたいもんです」とかそういう世紀末なセリフが飛び交うわけです。ところで「クカカカー」「ギシャシャシャー」は笑い声*3です。
ですから勝利のためには自分の料理の味や完成度を追求する事はもちろんなのですが、相手の料理にいかにして勝つか?という戦略が重要になってきます。相手が熱々の頃が一番美味い料理を作っているのを見れば自分が先に出品して台無しにし、本来塩を入れない料理を作っていると見せかけて相手を陥れ、酒と一緒に摂取するとヤバイ料理を作っているとみれば迷わず食前酒を差し出すという、まさに外道。
普通はいくらぶっ飛んだ漫画でも料理を出して腕を競っているのですから、主人公の目指す所は中華一番やミスター味っ子ですら「最高の料理人」なのですが、本作の主人公のジャン君は「クカカカカー!」と笑いながらどんな客でも屈服させる「最強の料理人」となるべく時には料理人じゃない相手とすら勝負をするのです。
この作品は少年漫画の王道を覇道として驀進する漫画であり「誰が一番強いんだい?」という男の子仕様の質問に対して、回答を叩きつける作品であります。
ではなぜ料理で最強なのか?
それは『闘』『食』『性』という本能に関わる分野における中国文明三大理論*4に起因していると考えられます。中華料理を主題として料理漫画という企画が持ち上がった時、西条氏の脳髄は化学反応を起こしてスパークしたに違いありません。当時既に『闘』においてはグラップラー刃牙を擁しており、さらに『性』に関してもチャンピオンは異形の雑誌でありました。『食』に関してはどうか?いやいや料理漫画なら他にもたくさんあるではないか…。しかし『闘』『食』『性』の三点を兼ね合わせた作品はどこにもない! そう考えたに違いありません*5。この三つを完璧に満たそうとしたのがこの『鉄鍋のジャン』という異形の作品なのです。
後年板垣恵介もこの三大理論に挑みましたが既に格闘漫画として一流を成したバキでは烈海王の余技に止まってしまった感があります。その意味で、三大理論を高いレベルで満たした鉄鍋のジャンは永遠に語り継がれるべき名作であると言えるのです。
『産霊山秘録』半村良

村上龍は、様々な職業を経ていよいよ最後になる職業というものが『作家』だと言ったが、「紙問屋の店員をはじめバーテンダー、クラブの支配人など三十近くの職業を転々とした」半村良ほどその意味にピッタリの作家もいない。
さて産霊山秘録(むすびやまひろく)である。
秘文書『産霊山秘録』*1によれば、戦国時代正親町天皇の勅令により、世の戦乱を治めるために動き出した一族がいた。高天ヶ原に最初に現われた三柱の神の一柱『高皇産霊神(タカミムスビノカミ)』を祖と仰ぎ、日本各地に点在する霊場『産霊山(ムスビノヤマ)』を探索する一族である。彼らは古くは天皇家よりも高位に位置したと言われ、時代が下るにつれ特異な能力をして御所の忍として活動するようになった。彼らの悲願こそは、日ノ本のどこかにあるという生きとし生けるものの願いを叶える最高の産霊山『芯の山』を見つけることである。その名を『ヒ一族』。
このヒ一族にまつわる逸史の物語が本作というわけである。凄まじいのはそのイメージの連鎖。ヒ一族の『ヒ』とはつまり、産霊(ムスビ)の『霊』に当たる『ヒ』なのだけが、日吉、比叡、日枝、日野宿、日置、比木、さらに常陸国鹿島神社、信州諏訪、善光寺etc…現在の日本に残る『ヒ』の名残を残す地名や大霊場こそは、産霊山の霊場の名残であるというのだ。もちろん『日本』こと『ヒノモトのクニ』とはそういう意味なのだ。この産霊山というのは、各地域に存在する生けるものの明日への願い、つまり生命のもつ何らかのエネルギー(意識?)が集る場所とヒの一族は考えている。ヒはこの霊力が集う霊地を探す力を持ち、またそのエネルギーの塊となって瞬間移動することができるってのだからもう! 鏡、珠、音叉の三つの器物で構成される『神籬』によって、彼らは日本各地を縦横に飛び回り、逸史の内で歴史を動かしていく。戦国時代のヒとは、なんと明智光秀、山内一豊*2、中井藤右衛門、藤堂高虎、猿飛佐助そしてもちろん南光坊天海!まさにそうそうたる顔ぶれである。彼らは、時に戦国武将として、時に忍――シノビの術とはつまりヒ一族がかつてその宗家であったということになっている!――として、影に日向に歴史に干渉する。織田信長を盛り立て、武田信玄を暗殺し、徳川家康を援助し…その結果、皇統を護ろうと考えていたヒ一族は『ネ』と呼ばれるしっぺ返しを受けることになってしまう。本来中立であるべき彼らが、あまりに歴史に干渉した結果として受ける災いと考えられているのが『ネ』*3である。彼らが支援した織田信長は、結果として皇室を潰し、日本を全く異なる国家へと革新しようとしていたのである。これに対してヒであった明智光秀は、やむなく信長を殺すことになり…。というのが本能寺の真相だった!南光坊天海と光秀は兄弟の間柄であり、天海こそはヒの一族の長であり、彼はヒの一族の責任として後々まで徳川家康を補佐する事になるのである。
戦国時代だけでも↑コレである。さらには、江戸時代の鼠小僧もヒの一族、水野忠邦も霊場の秘密を知っており陰謀を張り巡らせている男。さらに時代が下って幕末では、なんと坂本龍馬も新撰組もヒの末裔なのだ! 戦国時代から幕末まで、どのようにして彼らが『ヒ』とリンクしていくかは最高に怪しい部分である。
高田馬場の地下には次元を歪める装置を有する銀色のドームがあり、東京地下や信州の各所には次元が歪んでいる洞穴が存在するとか、そもそも空間跳躍に使う『鏡』の紋様こそは超集積回路であったりとか、ヒの用いる空間跳躍の行きつく先はなんと月面であったりとか、もうやりたい放題である。さらには実は世界中の聖地霊場は産霊山であり、それを追うのは『エ』と呼ばれ…オイオイどこまで壮大になるんだよこの話!!と思う間に怒涛が引くように物語は終わってしまう。
壮大なSF的なガジェットを織り込みつつも、飽くまでも半村良は新説本能寺、新説幕末史などが繰り広げられ、歴史の影で運命に翻弄されてゆくヒの末裔達を描いてゆくのである。そして物語は、序盤で戦国時代から太平洋戦争時の東京へタイムスリップした若きヒの一族『飛若』を中心とする話で締めくくられる…。「生きとしいけるものの明日への願い」を叶えることを悲願としたヒの一族の行末は是非手にとって確かめてもらいたい。
伝奇小説の肝とは、ああもう何でこんなこと考え付いちゃうんだ!という新鮮な驚きにある気がするが、おなか一杯そういう気分にさせてくれる本作。『日の一族』でありながら常に逸史の『影』にあった、そんなジョーカー達の物語である。
さて以下は蛇足。
SF的な設定から推察するに恐らくヒの一族とは、上古の昔地球に降り立った異星人、それも恐らく恒星間文明を築き、地球生命とは違った生命形態を持った知性体の末裔なのだろう。ムスビの山とは彼らの交通手段であると同時に、通信手段であり、これらを用いて星から星へと文明を伝播させていったのだ。翻って『霊』は「ヒ」でありまた別の読みをすれば「チ」である。これは『オロチ』『イカズチ』*4などのように、自然界の持つ巨大な威力を象徴する言葉でもあったわけで「生きとし生けるものの明日への願い」とは即ち、自然現象の背後の存在する巨大なエネルギーのことなのだ。それが集積され、やがて宇宙へと渡ってゆくというのは、なんだかアカシックレコードとかそういうイメージにも繋がっていくわけだが、半村良がどこまでその辺りを考えていたかは分からない。そういうSF的な設定、世界観だけでもう僕などは十分明日への夢を見てしまえる!
しかし何がスゴイって、そういうSFガジェットのみに頼らず物語を運行するパワーなのだ。さりげなくそうした余りにも壮大な背景を匂わせることで逆に生き生きとヒの一族たちの生き様が浮かんでくる。戦国の動乱から浮きつ沈みつヒの一族たちが産霊山を求めて流離う。恐らく超古代一万数千年の昔から。そして現代へと連なり物語は終る*5けども、きっと地球を遠く離れた他の惑星でも、彼らのように無限の漂泊を続けている存在がいるのかもしれない…。なんとも素晴しいじゃないですか。
産霊山秘録。こいつは『イノチ』の秘録なのだ。
山内一豊もやったし、さぁ次の大河ドラマはコイツに決まりだな(;゜Д゜)
*1:これとさらに冒頭でも引用される『神統拾遺』が本作における種本…かと思いきや、ラヴクラフト作品や魁!!男塾なみの偽書っぷりである。特に『神統拾遺』なんていかにも本当にありそう! 半村良が堂々と書くものだから実在してんのかと思っていると、ラストで素晴しいオチが待っている!
*2:遠州掛川三万石を与っていた一豊は後に土佐に移るわけだが、掛川近郷には『日坂(ニッサカ)』が存在する。ここもやっぱり産霊の霊場があったのだろうか?
*3:ネってなんだ? 思い浮かぶのは『根の国』である。『根の国』とは冥界にして「魂がそこから来た根本の場所」として日本の宗教意識のなかで考えられていた場所らしい。沖縄のニライ・カナイやアイヌのポクナ・モシリなどとも類似が認められるような異世界。この作品でいうと異星人たちがやって来たところということか? まぁつまり『妖星伝』を読めということなのだ。
*4:『蛇』や『竜』が文明を与えたり大地を作った偉大な霊『グレートスピリット』としてイメージされるのは世界中に共通した伝承である。ひょっとすると超古代に地球を支配していた『タカムスビノカミ』は蛇体をイメージさせる生命体だったのかもしれない。作中のオシラサマもちょっとそんな感じだ。
*5:現代までいっても終らずに突き抜けたのが獏先生の『黒塚KURODUKA』である。
龍の棲む日本:本

日本が巨大な龍に! いまさらYAIBAを持ち出すまでもなく、日本とは古来竜の棲む国であったのではなかろうか、とかなんとか云々。
日本各地に点在する『龍』の伝説を網羅的に解説する一書…ではなく、中世日本の国土感覚を『行基式日本図』という謎めいた地図から読み解いてゆく内容になっている。絵画資料論(聞いたこともなったた分野!)を専門とする筆者ならではの視点が面白い。新書向けということを意識しつつ書かれているので読みやすいけども、まぁ興味の無い人は面白くもなんともないでしょうなぁ…。いや僕は面白いんですけどね。
本書の絵解きで中心的な役割を果たす『行基式日本図』というのは、古地図の一系統。この行基さんは奈良時代のお坊さん。当初は弾圧を受けるも本邦初の大僧正になり、東大寺建造にも関与した大物である。その功徳を讃えて行基菩薩と言われるようになり、さまざまな行基伝説が生まれたそうです。この行基さんが描いた日本の国土図と伝えられるのが『行基式日本図』となるわけですね。特徴は丸みを帯びた各国の形。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/img/407_za_nihon.jpg
↑これが本書で主に取り上げている日本図。南が上、北が下に描かれております。九州が右の島になるんだけども、つまりこれは西日本の分しかない。更に何よりも怪しいのは、〈日本〉の外側にぐるっと描かれている謎の縄みたいなもの。よく見ると鱗が描いてるのでどうやら蛇や龍のような胴長の生物らしい。さてではこの地図の東半分はどうなってたんだろな、この生き物はなんでこんな所に描かれてるんだろなというのが本書の肝になる部分。
ところでなんでまたこの日本図が行基さんが描いたとか言われたかというと、筆者によれば『渓嵐拾葉集』などから読み込める行基伝説によるものということになる。中世〈日本〉の国土思想のなかで、『国土』のイメージというのは、仏教的世界観に裏打ちされており、『独鈷杵』と呼ばれる密教の法具としてイメージされていたそうだ。
http://nando.cside9.com/modules/mydownloads/images/shots/tokkosyo.jpg
↑コレが独鈷杵。
ひょっとしてそれはギャグで言ってるのか?(AA略、と突っ込みたいケドも、仏教思想と日本古来の宗教観念との結びつきの中で、国土とは仏教的な聖空間としてイメージされていたということなのでせう(空海さん的に密厳国土なんて思想もあったようですし)。これはつまり現代的な測地測量による物理的な空間認識ではなく、中世の日本では精神的な空間認識が国の形を決めていたということなのです(もちろん技術的な問題もあったでしょうけど)。そのなかで行基という高僧が語ったところとしてそういう国土意識が記述されており→行基さんが日本地図描いたんだよ!ということになったのではなかろうかといっております。西洋からの技術の入っていくる戦国時代以降近世に入ってこうしたイメージは段々と変容していくことになるわけですね。してみると、戦国時代の天下統一を考えていた武将たちの地理認識も、独鈷や龍に取り囲まれた諸島(その外側は異形の棲む異界)というイメージだったのかと思うと面白いですね(信長あたりは『国土』に関する思想的イメージを脱していたのかもしれません)*1。
それはいいけど全然『龍』が出てこない!とか思ってると三章から怒涛の『龍』尽くしになる。諏訪、阿蘇、室生、伊豆などなど日本の聖地に関する龍や大蛇の伝説、また地震と龍の関係などを開陳しつつ、仏教と陰陽道と日本古来の蛇信仰との混交によって育まれていった日本の『龍』を絵解きしていく。夥しい龍や大蛇に関する聖地や伝説とは、つまり神々の変じた龍が〈日本〉をくまなく守護しているという意識によって育まれていったというわけ。
これは日本の国土が独鈷の形をしていたという意識と独立では無いと筆者は言う。なぜならば、『天之瓊矛(あめのぬほこ)』や『心の御柱』といった国土の中心軸となり、また国土を生み出した創世神話の『柱』は『独鈷』のイメージと地続きなのだから。そしてなぜ日本が『龍」だらけで、さらに龍が国土を取り巻く図が著されたかといえば、仏教思想に登場する世界の中心軸たる『須弥山』には白蛇が棲み八大竜王が取り巻き守護しているからなのだ。
国土を支え、国土そのものとしてイメージされた『柱』は、龍によって守護されたものでなくてはならず、事実そうだった。というのが中世日本の国土のイメージだったのですね。
かくも豊かなイメージの連鎖を経てこの本は円環の構造になっているわけです。最初に出てきた行基図の龍とも蛇ともつかない謎の生き物は、恐らく『大日本国地震之図』のように尾を噛む形で国土を取り巻いていたのですね。龍は国土の境界を決め、時に国土を揺り動かし守護する巨大なエネルギーの象徴であり、この国が聖なる場所であるという象徴だったということになる。さらにその龍のエネルギーをつなぎとめる楔が『心の御柱』であり、『竹生島』であり、『鹿島神社』の動石であると。そういう壮大なコスモロジー(宇宙観)を中世の日本人は持っていたのですなぁ。まことに雄大というかなんというか。スゴイね人類。
ところで更に『龍』もまた巨大な柱であると仮定すれば、『日ノ本の国』とは龍そのものではないのか?そういう国土イメージ(世界観)も存在したのではないかしら。などと読み終えて思ってしまいました。
以下余分のことながら。
ついでにさらに勝手にイメージをつなげていけるかというと、実際これは幾らでも繋がるでしょう。筆者さんもまだまだの研究分野じゃね?って言ってます。
大地の周辺で尾を噛む蛇といえば、やはり北欧神話の『ヨルムンガンド』が真っ先にイメージされますね*2。行基図の龍と同じくヨルムンガンドは人間の住む世界の境界を定める生物であったのですな。ここには『世界』に関する共通したイメージが見られるわけです。そもそも仏教の世界のイメージもどこからきたのかというのも、どうも遠祖を辿れば古代メソポタミアなのでせうかね*3。またイスラム圏ではバハムートという巨大な魚が混沌の上に浮かんで世界を支えているという壮大な世界観を提示してくれますが、日本の国土イメージの中にも龍が大地を支えその背の上に国土が存在している、という考えがあります。インドでもヒンドゥー教の世界観でも長大な蛇が(縦方向に)世界を取り巻いているなんてイメージがあったように記憶しています。
人間考える事は同じというべきか、それともいわゆるユング的な普遍的イメージなんてものなんだろうかなヨーロッパの神話に出てくる『ドラゴン』達や、南米の『ケツアルコァトル』やオーストラリアのアボリジニーの『虹の蛇』などなど、そういう巨大なエネルギーの象徴としての『龍』や『大蛇』『ドラゴン』ってものはどこからやって来たのかなんて考えると、これはまた面白そうですねぇ。と考えるといよいよ『ウロボロス』的な思考に陥ってしまいますね。
ところで、最終的に何がスゴイって、国土の楔を引っこ抜いたら超破壊ドラゴンに変形した『日本』そのものと戦うなんてことをやってのけたYAIBAの世界観でしょうかね*4。
*1:とすれば空海や最澄の時代に海外へ渡るというのがどれほどの冒険であったかも想像がつくような気もします。なにしろ当時の地理認識では琉球なんて『鳥人』の棲んでる島なわけですもの!
*2:ミッドガルド蛇とも呼ばれたこの大蛇は、人間の住む世界ミッドガルドをひとまきするほどの巨体を持ち、この大蛇が首をもたげる時神々の黄昏が始まるという伝説を持っている危険物。そういえばヨルムガンドって「大いなる丸太」とか「大いなる杖」ってな意味です。独鈷と同じイメージ!?
*3:創世神ティアマトは竜形をとって神々と戦い敗れ世界の礎になりもうした→さらにこれって巨人の死体から世界を作ったなんて北欧神話や中国神話なんかにあるモチーフにも繋がるんですよね
*4:このエピソードは本書発刊以前に描かれたわけで、そう考えると青山剛生先生やその編集さんのヤバサというか直感というものは恐ろしいですねぇ。だってそのまんま龍の棲む日本のイメージをYAIBA的に描いたらああなるもの。スゲエぜ。
石川賢:永遠の先へ



『石川賢』という才能がこの地上から私達の眼に見えない場所へと旅立っていった。
一体この才能が、日本のサブカルチャーに与えてしまった影響をどのような方法で測定すれば良いのだろうか? そしてまたそれが去って行ったということは、どれほどの損失なのだろうか。私にはわからない。
思うに石川賢という才能は『過剰な』才能である。才能が過剰とは、石川賢の描くモノは常に過剰であったということなのだ。ゲッターロボ、虚無戦記、伝奇漫画…機械も人も過剰な進化を遂げ、過剰な暴力に溢れ、過剰な狂気に飲み込まれる。そしてその『過剰な物語』は延々と語られ続けるだろう。石川賢の作品が打ち切りのような形で終るというのは、限られた紙面の中にその物語を詰め込む事が出来ないからなのだろう。石川賢は常に過剰だった。
石川賢の漫画の中にあるのは、「欠損とその回復」という物語ではない。常に濁流の如きストーリーの中で、登場人物たちは己の内に秘めた巨大なエネルギーをぶつけ合う。それはあたかも角張った巨石が、川床を転がるようにして己を磨いていくように。それは、過剰なエネルギーをいかに発散させ昇華しようかと足掻く人間たちの物語なのだ。そして世界の果てまでも駆け抜けてゆくようなエネルギーを発して彼らは輝いている。
私達は時に忘れてしまう。月のように「欠けたもの」を補おうとする物語は確かに美しい。しかし、一方で人間は常に欠けているばかりではない。常に過剰なものを己の内側に持っているものではないだろうか。太陽のように「過剰なもの」を発散する物語、それを最も端的な形で表現しえた才能が石川賢なのだ。
彼の描き出す過剰なものが渦巻く世界。人間の形もあやふやになる狂気の世界と宇宙的な物語の中にあるからこそ、それが過剰なまでに描き出されるからこそ『人間も捨てたもんじゃねぇぜ!』という在り来たりなはずのセリフは、逆に強烈なエネルギーを持って輝くのだ。これはきっと過剰なヒューマニズムなのだ。進歩主義や理想主義を超越した石川賢にしか描くことのできなかった『宇宙最強の人間主義』なのだ。永井豪の生み出した『デビルマン』という問への答はここにある。つねに問を凌駕する答が。
私達はそんなエネルギーを知ることが出来た。そしてきっと石川賢は去ってなどいないのだ。彼の作品が常に『先』へと無限の未来へと伸びていったように『石川賢』の残したモノはまだ先に行くだろう。世界に果てがあるとしてその果てまでも、そしてその果てを突き抜けて。そしてきっと私達は置いていかれるばかりではいてはならないのだ。残された道筋を辿って、先へと進むエネルギーがあることを教えてもらったのだから。
ありがとう石川賢先生。